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2024-12-29
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1488275278872553
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6.00 MB
84
論文情報
タイトル
安陽殷墟YH一二七坑の発掘 : 出土甲骨の受難
タイトル(別表記)
アンヨウ インキョ YH 127 コウ ノ ハックツ : シュツド コウコツ ノ ジュナン
The Excavation of the Pit YH127 of the Yin-ruins in An-yang
著者名
著者/ヨミ/別表記
成家, 徹郎
ナリケ, テツロウ
NARIKE, Tetsuro
主題
中央研究院
灰土柱
南京・歴史語言研究所
甲骨堆積の模型
魏慈徳
抄録・概要
中央研究院は1936年3月に第13次発掘を開始した。そして6月12日をもって終了の予定であった。ところがこの日の午後4時にYH127坑で大量の甲骨が発見された。これら大量の甲骨を、従来のように1枚1枚ていねいに剥がして収容するならば何十日かかるか分からない。当時、この地の治安は不安定であったので、こういう作業はとうてい無理であった。そこで甲骨の「かたまり」のまま南京の中央研究院に運ぶことにした。甲骨の「かたまり」を地上に引き上げて、それを安陽駅まで運ぶ作業は、現代ならなんの苦労もない。しかし、当時、この地に文明の利器はなかった。だから我々には想像できないくらい困難が大きかった。これが、出土甲骨が出会った第一の苦難であった。南京の中央研究院に運ばれてからは、屋内で作業はていねいに行われた。ところが、思いもかけない大事件が起った。蘆溝橋事変に始まる日本軍の大侵攻である。よって出土甲骨も疎開せざるをえなくなった。これが第二の苦難である。避難疎開は、日中戦争で中国が勝利した後も続いた。出土甲骨は、もう一つ、思いもよらない苦難に遭った。YH127坑は未盗掘であることが確認されている。ところが新中国成立後にだんだん分かってきたことだが、当時(殷墟時代)YH127坑に一緒に埋められていたはずの甲骨がいくつか、骨董市場に出るとか、あるいは個人所蔵となっていることである。
掲載誌名
人文科学
NCID
AA11369700
ISSN
18830250
巻
20
開始ページ
116(1)
終了ページ
78(39)
刊行年月日
2015-03-31
言語
日本語
資料種別(NII)
紀要論文
コンテンツの種類
紀要論文
著者版フラグ
publisher
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